2009年02月25日
エステ原崎 氏がんばってますよ浜松まつり
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これまでその起源は、室町時代の永禄年間(1555年 - 1569年)に、引間城(現在の浜松城)の城主であった、飯尾豊前守の長男・義廣公の誕生を祝って、入野村の住人であった佐橋甚五郎が義廣公の名前を記した大凧を揚げた、という史書『浜松城記』の記述を定説としていたが、近年になってこの縁起そのものが大正時代の創作であることがわかっている。
現浜松市の市域において、端午の節句に凧を揚げることに関する最古の資料は、有玉下村(現浜松市有玉台)在住の国学者・高林方朗(みちあきら)の日記で、寛政元年(1789年)4月に初凧を購入したという記述が確認されている。
江戸時代の中期には、端午の節句に祝凧を贈って揚げるという風習は浜松だけでなく遠州地方全域で行われており、嫁の里から凧が贈られ、贈られた家では、糸や用具を整え、それを近所の若者が揚げた。
明治に入り庶民の娯楽が多様化すると、初凧の習俗は「古くさいもの」として次第に行なわれなくなってしまうが、浜松の城下町では初凧に糸切合戦の要素が加わりそれが人々を熱狂させ今日まで続くに至る。 明治7年頃、浜松の職人町に消防組が組織されると各町の若者同士の対抗意識が高まって町同士による凧合戦が行われるようになった。消防組単位で凧合戦に参加していたことを直接確かめる資料は見つかっていないが、消防組の影響は参加各町を組で表すことや、古くから参加している町の凧印には纏を図案化したものがあることからも伺える。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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